Monday 29 June 2009

知識

評点: 17 / 20
正確さ:4点、語彙・表現の多様性:4点、文のわかりやすさ:4点、内容:5点

物や事についての知識とやり方についての知識は全然違います。例えば、ピアノの内の機械をよく知っていても、うまく弾くわけではありません。一方、世界に一番上手な音楽家がとてもきれいな曲を弾けても、ピアノのキー以外によく分からないこともあります。

しかし、中度もあります。ピアノの内をよく分かって、あのピアノ・マスターをよく見てピアノの弾き方もよく分かってきましたが、まだ何も弾けない人もいます。なぜなら、ピアノや楽器の場合には、知識と見まねを要することだけでなく、練習も絶対必要だと言えます。

楽器だけでもなく、外国語、料理、運転などする時同上です。知識しか持っていない人は、もちろん頭がいいとか能力が強いのみたいですが、すると上手にできるはずではなくて、時々知識が少ない人よりうまく行けないことまあります。

結局、何でもすると、未来の知識になる傾向があるので、能力を得ながら知識もできています。それに、知識を使うとき、大体能力が強くなります。ですから、両方の組合からうまくできるようになると考えられます。

Monday 22 June 2009

航空機事故

評点: 16 / 20
正確さ:4点、語彙・表現の多様性:4点、文のわかりやすさ:4点、内容:4点

相変わらず、人間ができるだけ早く、都合がよい交通手段使うようにしています。昔にも、イギリスの有名なパブが建てられたきっかけは、乗馬者が馬が疲れると速く乗り換えて続けられるようにする工夫です。馬がエンジンに替えつつ、スピードが増えていただけでなく、リスクも増加してきました。

しかし、大多数の事故の原因は、「人間ミス」のせいだと思われます。現在の交通管理と制限速度があるため、事故のない交通制度が可能のはずなのに、事故率がまだ高くなっているままです。それで、事故が起こるとあると運転手がそのルールを従わなかったわけであると考えられます。例えば、「眠くても車で帰るのはいいかな」と思っている人が多いし、車内に気がそらせるもの、ラジオ・テレビ・犬など、運転しながら使っても大丈夫だと思っている人もいって、事故確率が高いです。

従って、何のために使う道具のように、交通手段は危ないや安全だと言えなくて、運転手や使う人の実力にとって決まれることだと考えられます。

Monday 15 June 2009

スポーツ

評点: 15 / 20
正確さ:4点、語彙・表現の多様性:4点、文のわかりやすさ:3点、内容:4点

イギリスには、「キツネ狩猟」というスポーツは生活技術から変化してきたから遊戯になったいい例です。昔は、牧場の労働者が安全に動物を飼うように守りようとして、馬も猟犬も使って鶏や豚をよく食うキツネを狩猟しました。その馬と猟犬を飼っている人が多くなり、様々なコミュニティーが集まってだんだん本当のイギリスの地方伝統になりました。しかし、その時から牧畜の技術やセキュリティーが進めると、「キツネ狩猟」の必要がなくなりましたが、犬と馬を飼っている人の伝統的な活動としてイギリスの地方文化で強かったですので、なくなりませんでした。

ですけれども最近、動物虐待に反対する人が増えてきて、色々な「血スポーツ」、すなわち血を流すスポーツがイギリス政府に禁じられることにされました。しかし、この禁止に対してキツネ狩猟を続けている地方の団体はまだ多いです。

Monday 8 June 2009

タバコ

評点: 15 / 20
正確さ:4点、語彙・表現の多様性:4点、文のわかりやすさ:4点、内容:3点

文章の例は、「世論調査の悪用」と言われます。これは人々に「反対」と「賛成」の極端な選択を提供するが、その人々の皆の状態によって一つを選ばずを得ないことです。例えば、文章に書いてあるように、講義に出っている学生に「出席による成績はいい」と言う状況では、欠席している学生、すなわち反対するはずの学生が自分の意見を身体的に述べられません。その結果、後の統計からみると、大多数の学生が賛成するようですが、本当にそうではないと考えられます。皆の意見を含んでいないし、結果が現実と違うし、たぶんわざと講師が欠席する学生が多い時間まで待っていて質問した可能性もあるから、「悪用」と言います。

講義内の質問だけに止まらず、政治界でもよく行われる現象です。例えば最近イギリスでは、政府は都合がよい時まで待つ権利があるから、世論が政府に賛成する時まで待っています。確かに、欲しい結果が出るために現実を無視して適切な時まで待っては、いわゆる民主制の社会でいけないと思います。

Monday 1 June 2009

におい

評点: 12 / 20
正確さ:4点、語彙・表現の多様性:3点、文のわかりやすさ:2点、内容:3点

本文の通り、においは人々の好きなものから選好されています。従って、その人が生きている文化から人間の好きなものに少しも影響がないと考えていますので、異文化におけるにおいの選好が全然違えます。

例えば、ある文化通りいつもビネガーを食べている人々は強いにおいが気にしませんが、初めて嗅ぐ人は味見をしていなくても、ビネガーが入っている食べ物に対する食欲がなくなるかもしれません。

個人的な経験ですが、シンガポールに行ったとき、こういう「文化・においクラッシュ」がありました。シンガポールのスーパーでは「ジュリアン」という果物を見つかりました。ジュリアンは、地下鉄の車内で「ここにジュリアンを持って来るのは禁じられている」という注意を掲示されているほどにおいが強いです。買って帰ってからも、台所のにおいを全部やっつけたので、意欲が欠けてもすぐ食べざるを得ないようになりました。ジュリアンの味はやぱりによいより不味くなかったですが、今もまだ簡単なにおいが弱いバナナの方が食べると思います。